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第2節 保育の方針 私たちのゆくえ2.私は私、でも私は私たちの中の私 ―心が育つ―子どもが自分をのびのびと発揮し、主体的に活動するためには、いつでも依存できる保育者を必要とします。依存は自立と対立するものではなく、自立を支えるものです。そのようにいつも支えてくれる保育者をかたわらに、子どもは周囲の子どもとの軋轢を超えて、共に生きていこうとします。そうした中から、待つこと、譲ること、思いやること、ずるはしないなど、倫理観や道徳性に繋がる多くを経験し、やがて「私は私でありながら、私たちの中の私でもある」ことを学びとります。子どもの依存を支える保育者は、言葉によるコミュニケーションのみならず、表情や仕草、動作、態度といった非言語的コミュニケーションによる子どもの自己表出を理解し、子どものありのままをしっかりと受け止めて信頼関係を構築しなければなりません。そして子どもたちは、その信頼関係を土台として「人と関わり社会を築く力」を育みます。
子どもにとってともに生きるまわりの人々は、それが子どもであれ大人であれ、親であれ、保育者であれ、いろいろな自分を映し返してくれる存在です。まわりの人から主体として尊重されて子どもは、自分を見いだし、自分らしくなってゆきます。"自分は他の誰でもない自分なのだ"と思えることが、なによりもまず大切です。
それはまた、保育者も保護者もおなじです。保育者も保護者も一個の主体として保育の場を生きていますから、感じたり、考えたり、願ったりしますし、ときには自分をつよく出したいと思うこともありますから、保育の場は、子どもと保護者と保育者の相互主体的な関係が多様に展開する場でもあります。その関係性の網の目が、子どもに「私は私、でも私は私たちの中の私」を実現してゆくのです。そのことこそが、子どもの心が育つことに他なりません。 |