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第1節 期ごとの保育第3期 私を表現する (10月第2週から12月第1週まで)1.遊びにみる表現ここにもしも遊べない子どもがいたら、それをどのように受けとめればよいのでしょうか。友だちがいないのか、遊びが見つからないのか、何かで拗ねてしまっているのか、そのいずれでもない遊べない子どもと出会ってしまうことがあります。素直に自分が表現できないのです。それは自分に自信が持てなかったり、自信を育ててもらう時間が充分でなかったりと、遊べない子どもの姿には、気持ちを持て余す様子が表現されています。では遊ぶ子どもの姿には何が表現されているのでしょう。もくもくと遊ぶ子ども、いそいそと遊ぶ子ども、いきいきと遊ぶ子ども、そこには遊びによって充足している気持ちが表現されています。それをヴァイタリティアフェクト(生き生きとした情緒、力動感)といいますが、これこそが意欲の水瓶を醸成するもととなるのです。
遊びの展開にも子どもの表現を読み取ることができます。砂場をただ掘り起こしていただけの子どもが、掘られた穴ではなく、盛り上がった砂山からお城を思いつき、取り囲む城壁を作り、それはやがて砂場いっぱいに拡がる街になることがあります。大型積み木に跨ったことからお父さんの自動車が思い浮かんだり、複数の積み木を連結することで列車になったりと、またがる動作から連想される乗り物が次々に見立てられてゆく光景もしばしば目にします。そうした子どもの遊びを模倣や象徴遊びと名づけて分類することも保育を知る上では大切ですが、まずは子どもが体全体から発しているヴァイタリティアフェクトを感じ取りたいものです。何をしているかがわかることも重要ですが、そのときの子どもの気持ちを自分の気持ちにおいて共感することに、ともに生きる意味が見いだせるのではないでしょうか。
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